日本社会における人口をめぐる言説は、時代背景によって大きく変容してきた。1980年代には、過密や公害、渋滞などが都市問題として深刻化するなかで、人口密度の高さが問題視され、少人口社会を理想とする声も強かった。しかし2020年代に入ると一転して、少子高齢化による人口減少が“国難”として語られ、過去の言説とは真逆のトーンが主流となっている。本稿では、この変化の背景に何があったのかを探りながら、人口をめぐる社会的、政治的、経済的言説の変遷を読み解いていく。
1.1980年代:「過密社会」の問題意識
高度経済成長を終えた1980年代、日本の都市は過密状態にあり、生活の質の低下、公害、交通渋滞、住宅難、教育競争などが社会問題として顕在化していた。新聞や雑誌では、こうした現象を「都市病理」として取り上げ、特に東京圏の人口集中が批判された。
この頃の論壇やメディアには、北欧型の福祉国家モデルに注目が集まっていた。ノルウェーやスウェーデンといった少人口の国々の「人間らしい生活」や「環境と共生する社会」が理想として語られ、日本でも「人口は少ない方がいい」という見解が一部知識人によって広められていた。人口密度の高さを都市問題の元凶とするロジックは、この時代には比較的説得力を持っていた。
2.2020年代:「人口減少社会の危機」言説
ところが2020年代に入ると、日本社会における人口論のトーンは劇的に変わった。少子高齢化による人口減少が「経済の縮小」「社会保障制度の崩壊」「地域の消滅」として連日報道され、多くの政治家や専門家が“人口減=国力の低下”という論調を展開するようになった。
この変化の背景には、実際に目に見える形で人口減の影響が出始めたという現実がある。特に地方では、学校の統廃合、医療機関の撤退、商店街のシャッター化が進行し、「消滅可能性都市」という言葉が注目を集めた。企業もまた、労働力確保の難しさを訴え、経済界全体が「人口減への危機感」を強めていった。
3.経済成長主義とナショナリズムの交錯
1980年代の「過密社会」批判は、ある意味でポスト成長社会を志向する余裕があった時代の産物であった。しかし、バブル崩壊以降の30年にわたる経済停滞を経て、国家もメディアも再び「成長」の物語に依存するようになった。
人口の多さは、GDPの拡大、消費市場の維持、国家の軍事力や外交力と結びつけられ、「人口=国力」の公式が再び復活する。とりわけ安全保障の観点から、人口減は「国家の弱体化」とみなされるようになり、「出生数を増やせ」「移民を受け入れろ」というような論が勢いを増した。
また、政治的にも保守主義的な家族観が復活し、「結婚して子どもを産むこと」が社会的義務のように扱われる風潮も一部で見られるようになった。
4.なぜ1980年代の理想は語られなくなったのか
1980年代に「人口が少ない社会の良さ」を語っていた知識人やメディアは、なぜ現在、その論を繰り返さないのか──。
第一に、現実のインパクトの大きさがある。地方の衰退、労働力不足、年金制度の危機など、実際に人口減の影響を被っている層が多くなった今、人口減少を「理想」として語ること自体が世論にそぐわないものとなっている。
第二に、当時の論者の多くが論壇やメディアの第一線から退いたことも大きい。1980年代の人口論は、ニューアカデミズムやポストモダン的な批評文化とともに展開されたが、そうした文脈は1990年代以降のグローバル経済化や新自由主義的再編に吸収され、影響力を失っていった。
第三に、知識人層の制度内化もある。人口問題を語る専門家たちは、研究者として政策提言の場に身を置くことが多くなり、「理想社会のビジョン」よりも「現実的な対策」に注力するようになった。
5.再考されるべき「少人口社会」の利点
とはいえ、「人口が少ない社会の利点」が消滅したわけではない。むしろ、今だからこそ再考されるべき視点が存在する。
・都市の過密緩和と再設計の好機
・環境負荷の軽減、持続可能な開発との整合性
・教育や福祉の個別化、質の向上
・働き方の柔軟化と人生の多様化
これらの点では、人口減少を前提とした「持続可能で豊かな社会」の設計が可能であり、北欧の事例を改めて参照する価値がある。
結語:人口をめぐる「物語」の再構築
人口は単なる数値ではなく、それをどう「物語化」するかによって社会の方向性が決まる。過去には「過密」が危機とされ、今は「減少」が危機とされているが、その背後には常に政治的・経済的な意図が介在している。
本当に問うべきは、「人口をどう増やすか」ではなく、「どのような人口構成で、どのような社会を目指すか」である。未来の日本にふさわしい社会モデルとは何か──。その探究のために、過去の言説を丹念に掘り起こし、今に活かす作業が必要である。
少人口社会は「衰退」ではなく、「成熟」への道かもしれない。その可能性を、今こそ真剣に検討する時が来ている。