ひとくちに社会といっても、それにはいろいろな意味がある。「社会にでる」とか「社会勉強をする」という場合は、実社会のことであり、職人や役人、勤め人や教貝の社会といえば、主に特定の職業集団をさし、農村や都市の社会というときには、地域社会を意味する。また、上流社会とか下宿社会といえば、それぞれの階級に属する一群の人びとというほどの意味であり、日本やアメリカの社会という場合には、国民的規模の全体社会を指している。ここでは、社会という言葉の意味を、最後にあげた全体社会にかぎって用いることにしよう。

全体社会とは、その内部にさまざまな集団(部分社会)や制度を含み、 それらの集団や制度が互いに絡み合って相対的な意味で自足性や統一位をもった社会をいう。ふつうには、民族を基盤として成立し、その範囲内で経済上・政治上・文化上の生f舌を共同にする社会であり、国民社会ともよばれるが、いくつかの民族にまたがる場合もある。いうまでもなく、この全体社会は、程度の差こそあれ、国際的な関連のもとにあり、その影響を免れ得ないけれども、それにもかかわらず、相対的な意味で自足性や統一性をもつのは、多方面にわたる生活の共同によるものと考えられる。

この生活の共同とは、 一定の地域に住む人びとが、

(1)経済的には、所与の自然的、技術的その他の条件のもとで、生産に携わり、分業と交換の関係に立ち入り、相互に依存しながら国民生活の再生産をおこなっていることである。また、

(2)政治的には、国家の広汎かつ強力な統制のもとに枠づけられながら生活することであり、そして、

(3)文化的には、多かれ少なかれ共通の伝統や生活様式あるいは価値体系のもとで、感じ考え行励することである。

以上のような多方面にわたる生活の共同に際しては、実に様々な集団や制度が人間の営みとかかわっているので、それらの織りなす全休社会の統治またはしくみは、はなはだ複雑多岐であり、一筋縄では捉えにくい(なお、念のため断っておくが、 上で述べた生活の共同、その上に成立するまとまりは、かならずしも協力とか調和を示すのではない。対立や闘争を含むことが稀ではないし、むしろそれがノーマルな姿である)。

いずれにせよ、全体社会のしくみを理解するには、ただ漫然と生活の共同をあげるだけでなく、一歩進んでその原因・条件・経過・結果をつぶさに必要である。そこで、以下は、全体社会がどんな要素から成り立ち、それらの構成要素はどのような力または原理によって統一されるのか、 そのばあいに、それらの要素のあいだにはどういう関連がでてくるのか、また、それはどんな結果をもたらすのか、といった点を検討しなければならない。

しかし、この問題にはいるまえに、全体社会についてのいくつかの見方あるいは学説をとりあげてみよう。

(1)まずあげられるのは、社会有機体論とその流れを汲む立場である。社会を生物有機体になぞらえたコントやスベンサーらによると、社会はそれ自身独自の生命をもった生きた全体であり、有般的秩序をもつ。この有機的秩序は、それを構成する各部分・各要素がたがいに関連し依存しあって、緊密な連帯関係に立つときに成立するが、それをもたらすものは分業にもとづく協業の原理である、という。このような有機体としての社会は、それを構成する諸要素に分解し還元しえないもの、諸部分の総和以上のもので、側人の離合集散や変転消滅にもかかわらず生き長らえる超個人的な実体であった。

社会を生物有機体になぞらえ、生物学的原理で社会の構造を説明しようとする立場は、科学的にはもちろん支持されえない。けれども、社会の構造なり秩序なりが、なんらかの原理によってもたらされた、構成要素間の相互連関であるという認識は、今日なお十分尊重され検討されるべき面を持っている。

(2)この社会有機体論と関連して、機能主義の社会観をあげておかなければならない。マリノフスキーによると、社会とは、人間のさまざまな要求を充足させる過程で、経済・政治・規範・親族・教育などの法制度が相互に関連し合って一つの複合的全体を形作るときに成立するもので、社会の統合と安定、維持と存続は制度の機能によって保障される、という。つまり、制度の機能連関が社会にほかならない、というわけである。しかし、この立場では、制度の機能連関に注目するあまり、制度間の規定関係は不問に付され、社会の統合や均衡の問題は機能的統一性に解消されてしまう。そのため、社会の把握そのものが平板となり、歴史性をとりさられ、また、社会を統合する力が同時にそれを解体し分裂させるカであることが見失われてしまう。

(3)これとほぼ同様のあやまりをおかした立場として、パーソンズの社会体系論をあげうるであろう。かれのばあいにも、社会の統合を可能とし、その実質的内特をなすものは、制度にほかならなかった。かれにとって、社会が全体として1つのまとまりをもち、均衡を維持する条件は、(1)その社会に共通の価値や規範が存在し、制度化されていること(2)人々がこの価値や規範を分有し、それにもとづいて役割を遂行すること、 また、(3)そうした役割の遂行に必要な条件(役割への人員配置、役割を遂行するのに不可欠な用具や権力、物的、心的な報酬や維新の配分など)が整っていること、でなければならない。

ここにほぼあきらかなように、パーソンズの立場は、役割の制度化(規範の内面化、社会統制、配分問題を含む)に焦点をあわせて、 社会の構造やその結合または均衡を追求するところにある。そのさい注意しておかなければならないのは、この制度化と配分過程を軸として統合された社会が、内部に矛盾や対立のない調和の世界であり、そうした制度化や配分過程が統合的効果をもつことを強測しすぎた結果、この同じ過程が同時に階級対立という分裂的契機をともない、また、それを抑圧するための権力支配の必要を生じるという点を見失っていることである。